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想い

MESSAGE

家業を継ぐことは私にとって必然でした。
これまでの70有余年のわが人生と、
50年以上におよぶ仕事人生について、
まとめの意味で少し振り返ってみたいと思います。

仕事風景1
仕事風景2
仕事風景3

わが人生は、猪突猛進

私が生まれたのは戦後間もない1947(昭和22)年。生まれも育ちも地元・栃木市です。

初代が大工職として創業したのが1932(昭和7)年と聞いていますが、定かではありません。もしかするともっと以前から携わっていたかもしれません。

後に三代目となる私は、子どものころから大工道具をいじるのが好きで、小学生になると家業の手伝いをしていました。元来、ものづくりが好きでしたね。
ちなみに「兵一」という名前は、祖父・兵吉の「兵」と、父・新一の「一」から取ったそうです。

幼少期の写真
「兵一」という名前について

高校は宇都宮工業高等学校の建築科に進学しました。高校時代、夏休みは建設会社で大工としてアルバイトをしていました。そのころは経験を積むというより、小遣い稼ぎが目的でしたね(笑)。

高校卒業後すぐに親元で大工の修行を始め、26歳のときに有限会社大兵工務店を設立しました。

若いころから旅好きだったこともあり、仕事の合間に全国各地の名建築や棟梁さんを訪ね歩きました。宮大工と呼ばれる名工の仕事を間近に見ることは、机上では学べない気づきや発見、そして感動を味わえたからです。

仕事風景
仕事風景

時には昼間は大工をしながら、夜行バスで京都の名だたる名工を訪ね、教えを受けたことは一度や二度ではありません。たとえ見ず知らずでも、こちら側の真摯な姿勢と熱意が伝われば、先方は歓迎してくれました。

「思い立ったが吉日」のことわざにあるように、「これだ!」と思ったらすぐに行動しないと気がすまない質です。好奇心は人一倍で、納得するまでとことん突き詰めます。 自己分析をするなら、いわゆる猪突猛進タイプ。亥年生まれの面目躍如といえそうです。

こうした性格が功を奏し、建築の仕事を通じて全国各地に、そして各方面に少しずつ人脈が広がっていきました。さまざまな人とのつながりは、わが仕事人生の中で築いてきた財産です。

内面から湧き上がる熱いチャレンジ精神が枯れることはありません。命がけの仕事への挑戦はまだまだ続きます(笑)。

仕事風景